<<前のページ | 次のページ>>
2017年12月17日(日)
慰安婦・南京虐殺問題

「こうして歴史問題は捏造される」有馬哲夫から
僕たち親世代の名誉が偽証によって傷つけられている。事実だけを羅列
1945年 太平洋戦争終結
1982年 朝日新聞による吉田清治の慰安婦記事
1985年 中国が靖国神社に参拝しないよう求める
1991年 慰安婦に対する国への保証提訴。このとき金学順は売春婦であること認める
南京虐殺の記録・フィルム・軍指示書・証拠隠滅事実は存在しない
当時南京の人口は20〜25万人
退路を断たれた300万人の日本軍が40〜70万人もの慰安婦を連れて行くことは不可能
戦争でレイプ被害を受けた日本女性の人権は擁護されない
広島長崎原爆被害者は47万人

2017年10月22日(日)
「宇宙に終わりはあるのか」

現在は宇宙が誕生した直後に過ぎない。本来宇宙は完全虚無の世界。加速しながら膨張するだけの世界。でも誕生直後だけ熱の不均一がある。動物は誕生したこの刹那にしか生まれない。これから宇宙は長い長いマザーユニバース・絶対ゼロ度(-273.c)の静寂に移行する。

2017年10月15日(日)
我が家太陽光パネル第二報

80wの太陽光パネルと12AH電池で余すところなく発電を理ゆすることはむつかしい。結局イルミネーション点灯させて喜んでいます。

2017年10月9日(月)
宇宙に終わりはあるのか
吉田伸夫の「宇宙に終わりはあるのか」より。現在は宇宙が誕生した直後にすぎない。宇宙は完全に虚無の世界。加速しながら膨張するだけの世界。宇宙に熱の不均一があるのは誕生した刹那の今だけ。生物は今しか生まれない。これから宇宙は長い長いマザーユニバース・絶対0度(-273・c)の静寂へ移行する。
あらためて今がなんと特殊な時間かと思う。地球上の生物が全員儚い宇宙船に乗っているんだ。

2017年4月27日(木)
人類と気候の10万年史

中川毅の「人類と気候の10万年史」を読んだ。
気候は時間軸の長さによって問題の捉え方が変わってくる。
時間軸を5億年前から考えると地球はこれから氷期に突入する。
時間軸を10万年にすると現在の地球温暖化はとても急激な温度上昇になる。
いずれにしろIPCCの言う100年間で5〜10・c程度の温度上昇は、地球にとってはどうということのない温度変化。困るのは人間だけ。
やはり僕は「地球にやさしい」という言葉が好きになれない。



2017年4月27日(木)
靖国神社

「靖国神社」
先日、生まれて初めて靖国神社へ行ってきました。荘厳でした。数多くの英霊の写真と遺言が展示されていました。 明日は玉砕、生きて故国へ帰れないと覚悟した夜の慰安会。歌の下手だった兵士の歌に全員が号泣。兵士は「おとうさん、おかあさん、歌のうまくなった僕を褒めてください」で遺書を締めくくっています。この光景が頭から離れません。 戦術訓「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ」という言葉の元にどれほど多くの若者が亡くなっただろうか。 彼らは我々に次代を託しました。その我々がこんな生きざまでよかったのかなぁ?我々はいつも自分のことしか考えずに生きてきたような気がする。

2017年1月24日(火)
お寺さん崩壊

表題の本を読みました。
ライフスタイルの変化や地方疲弊の影響を受けてお寺さんは大変だろうなと思っていた矢先。ほぼ想像通りの内容だった。近くでも境内を駐車場にしたり、アパート建てたりしてます。昔の方々が大切にしてきた街の風情が損なわれています。
この本に載っていたいい話。「住職、極楽浄土は遠いんでしょう?いま、弟はどのあたりまで行ってるのかなあ」「十万億世界の向こうだから、半分くらいかもしれませんね」「もう少しだぞ、頑張れって声かけてやらんといかんね」「いやいや、阿弥陀さまが迎えに来とるから安心しといてよかですよ」「そうだった。弟は仏さまに連れられていま歩いとるとやったねえ」「そうですよ。うらやましかじゃないですか」「うん、どげな気持ちかな。えらい喜んどるかもしれんね」
仏事は、先祖代々大切に祀ってきた仏さまが「自分の人生をより善く生きるためにそっと寄り添ってくださっている」ことへの気づきを促す場とのこと。

2017年1月15日(日)
僕の正月

今年も長男夫婦が孫を連れて帰ってきてくれました。でも4月から長男はアメリカ赴任。家族は7月に日本を離れます。来年からは寂しい正月になります。
今年の正月は例年になく疲れました。年齢とともに体力と気力が落ちたんだろう。何か人生が終わったかの如き感傷にふけってしまいました。
僕はこれまで家族や友達からいっぱい幸せをもらった。でも僕は周りの人へ幸せを返せただろうか?
僕はちょっとだけ年取ることを楽しみにしています。年を重ねた人生によって形成される人の風貌や風格はとても魅力的です。でも僕はそれにふさわしい人生を歩んだのだろうか?
いつまでも煩悩から抜け出せないままです。

2016年10月29日(土)
兄の受勲パーティ

10月1日に兄の受勲パーティがホテルオークラ京都でありました。我がことのように嬉しくもあり、恥ずかしくもありました。

2016年10月22日(土)
水素社会

水素社会を考えてみました。水素は究極のクリーンエネルギー。そのまま燃やすと熱エネルギー。燃料電池を用いると電気。さらに人造石油を作る原料にもなる。水素は溜めて運ぶこともできる。
国のタイムスケジュールでは水素社会到来は2050年。温暖化が手遅れにならないことを祈る。
水素を作るのに電気や化石燃料を使っては意味ない。植物に教わるべき。その意味で人工光合成の研究成果は人類の生殺を握る。人類ははじめて自らエネルギーを作る。
植物光合成は「明反応」と「暗反応」からなる。葉緑体が光のエネルギーを利用して水から電子を取り出し酸素を排出するのが「明反応」。できた水素イオンや電子が炭酸ガスを還元し糖やデンプンを作るのが「暗反応」。
太陽光水素パネルに人工「明反応」光合成をさせて水素を作る。水素はアンモニアに溶かすと運びやすい。
2050年とは今の高校生が50歳になるころ。彼らのため我々の技術をバトンタッチする。
トヨタは水素燃料電池車「ミライ」を発売した。電気自動車のほうが簡単。走行費用も安価。それでもあえて水素自動車に挑戦。昔トヨタは走れば走るほど街をきれいにする車を目指していると聞いたことがある。トヨタもすごい。

2016年9月22日(木)
もう親を捨てるしかない

そういえば人はなかなか死ななくなった。自分のこととして読みました。島田裕巳の「もう親を捨てるしかない」から抜粋します。「年をとれば、人に迷惑をかけないでは生きられなくなる。医療も介護もそうだし、葬儀や墓など死後のこともそうだ。
親はもう、「とっとと死ぬ」しかない。スウェーデンでは、点滴も経管栄養も行われず、患者の食べたり飲んだりする能力に任されている。そうなると、患者は栄養が低下しても、脱水になっても苦しむことなく、楽に死ねる。
私たちは、いかにとっとと死ぬか、そのことを考えるべき時代に突入している。
人はひとりで生き、ひとりで死んでいくしかない。子供に介護を期待すること自体あり得ない。子供もそんな義務を果たす必要はない。」



2016年9月22日(木)
不自由な男たち

田中俊之・小島慶子の「不自由な男たち」を読みました。振り返ると、これでも僕はずいぶん男らしく生きようとしてきた。本当は男ってしんどいなぁとも思い続けてきました。著者は男性は本質的に空虚な競争を強いられていると言います。その空虚さゆえ、大人になっても自分が不甲斐なく漠然とした不安や焦燥感にかられる。
男だからといって別に競わなくていいのに。順番気にしなくていいのに。結果がどうあろうと必死で頑張るのに。お互い十分な敬意さえ払えばこの世はもっと生きやすくなるはず。


2016年7月18日(月)
壊れた地球儀の直し方

青山繁晴の本を初めて読みました。これだって思いました。すごい人だし、この人にこれからの日本を託したい。この度参議院選挙で高得点当選されました。日本人にはまだ人を選ぶ力がある。彼は超国民を提唱しています。そして日本が変わらないと世界はもうやっていけないと主張します。
超国民とは、自立した個人。自ら引き受けて、おのれ自身で生きる。一人ひとりが性別も職業も学歴も問わず、自分でものを考え、行動する国民だ。国家の独立の前に、個人の自立がある。
私たちは先の戦争で命を失った犠牲者のおかげで、自由も民主主義も手にしている。だがそれは、結果として天から、アメリカから降ってきた自由と民主主義である。
テロに完璧に備えることはできないが、テロに強い国家に変わることはできる。覚悟を決め、国のあり方を変え、そしてただ一人の同じ日本国民の運命もおろそかにしない国に変える。
わたしたちは自分自身のやってきたことを誤魔化し、あの敗戦の果てに、ようやく掴んだ平和を実はどこかで馬鹿にし、あるいは恥じるような気持まで隠し持っている。
わたしたちは、自分の愛する人を護ること、そして自分自身を護ることをアメリカ人に任せてきた。
世界がこうやって壊れ、縮むなかで、経済では日本の円だけが信任されている事実を見よう。歴史的必然の円高に耐えられる、新しい日本経済の創造がわれらの役割です。為替に左右されない体質を造る。絶対に動かせないと思ったこれまでの世界が壊れつつある今ほど、生きがいのある時代はない。

2016年6月19日(日)
町内のお祭り

日付が前後します。
5月21日は町内のお祭りでした。昨年から長老手作りによる子供神輿が
復活。今年も町内を練り歩きました。小っちゃくてかわいいでしょう?町内の四大事業の一つが終わってホッとしています。

2016年6月19日(日)
中高年の生き方

本のタイトルにドキッとしました。「夫に死んでほしい妻たち」「男はなぜこんなに苦しいのか」「中高年がキレル理由」「50オトコはなぜ劣化したのか」
今50歳以上の世代は昔の”男であるだけで偉かった”時代を知っています。でも時代は変わりました。いま男は生きにくい。
もう若くはない、そう思う時、こんなはずではなかった自分を発見する。これから先も読めてしまう。生活を考えると簡単に会社を辞めることもできない。若い人たちみたいな新しいライフスタイルもない。家庭にあっても妻や子供に影響力を示せない。
男も女も本当に偉い人は一握り。偉くない人の生き方は男のほうがむつかしい。
年を重ねていくことを成熟としてポジティブにとらえよう。思い通りに行かない人生を必死に歩み続けるから人間としての幅ができると考えよう。生きがいを見つけよう。家庭、友だち、近所、趣味、そういった身近なものを大切にしよう。

2016年2月5日(金)
人類と地球の大問題を読んで

丹羽宇一郎の本です。彼は50年後の地球を考えろと語ります。50年ってすごくリアル。人口が爆発し、資源を爆食し、人も長生きし、わずか50年先さえ地球の持続は確実とは言えない。今何か手を打たなければとは思うけど、人類は考えることを放棄している。50年前、日本は貧しかった。でも不幸ではなかった。どんな時代でも幸せはある。昔、人間はもっと賢いものと思っていた。足もとへ危機が押し寄せる前に、一致団結して叡知を集めると思っていた。でも現実はそうではない。温暖化、貧困、食料、水、エネルギー、富の格差、テロリズム。これらはみな根底でつながっている。そしてこれらは人類最大の危機である。この人類最大の危機に際して争いごとをしている暇はない。大勢の人が求める物質的豊かさに対し、地球の包容力は限界に達している。小さな一輪の花を美しいと感じる日本人の感性はもしかしたら、飽食に対する一つの答えかもしれない。来るべき少子高齢化社会に、物質がなくても心豊かに過ごせ津社会を作ることは、これまでさんざん飽食を重ねてきた我々世代の罪滅ぼしではないだろうか。
いま一番大切なことは、貧困をなくし、教育を普及し、みんなが環境を考えることできる余裕を作りだすこと。

2015年10月5日(月)
安保法案で思うこと

安倍首相を頂いて、日本人としての誇りを回復する千載一遇のチャンスだと思います。安倍総理を応援したい。安保法案について考えました。安保法案賛否に関係なく今の日本人で戦争を望む人はいないと思います。でも安保法案を戦争法案と呼ぶ人がいる。世界も日本も壊れるかもしれない。目の前で大勢の人が理不尽な思いをするかもしれない。それなのに日本だけ安全地帯留まろうとしていいのだろうか。助けることのできる自分になりたい。守るべきものを守れる自分になりたい。だから安保法案に賛成します。一概には言えないけど「反安保法案」「反憲法改正」「反原発」「反沖縄基地」とかの運動には似たような臭いを感じます。反論できない正論、安全地帯における正義、彼らの理想に現実味を感じられない。今回の安保法案にて信念を貫ける日本になって欲しい。

2015年7月5日(日)
アップル、グーグルが神になる日

「アップル、グーグルが神になる日」という本を読みました。この本を読んで近未来のイメージがつかめたように思います。
パソコンや携帯電話だけでなく、多様な機器がインターネットに接続されます。これらの機器は人間によってコントロールされるだけでなく、機器同士も自動的にデータをやり取りします。またクラウドコンピューティングにより、インターネット上に置かれた大量のコンピューター群のデータが利用でき、そのうえでアプリケーションを実行するスタイルが主流になります。機器で何をするかはアプリが決めます。
アップルが描くホームキットという仕組みは、「機能」すなわち機器と、「振る舞い」すなわちアプリを完全に分離しています。ホームキット対応機器は、アプリから自由にコントロールできるが、アプリを作るのは機器の開発者でなくてもいい。機器の開発者もアプリの開発者も、ホームキットの仕様だけを意識していればよく、機器ごとにどう制御するかを考える必要はありません。
この手法は本物の省エネを推進すると思います。たとえば「かわいさ」なんかを取り入れた省エネアプリ等も開発され、いずれ省エネを競うような世の中がやって来そうです。ただ神になるのが日本の企業でないことはさみしい。

2015年8月8日(土)
日本のいちばん長い日

どのようにして日本が終戦を迎えたのかを描いた映画「日本のいちばん長い日」を見てきました。昔の日本人ってすごい。ときどき今と同じ人種なのかと思うことがある。日本人にとって天皇の存在も大きい。彼ら先人の礎のもとに今の我々の生活がある。その礎をここまで復興させたこれまでの普通の日本人もえらい。本木雅弘の昭和天皇と山崎務の鈴木総理大臣がとても上手だった。日本人をいろいろと考えさせられました。ところでこの映画も僕の実家の嵯峨映画が照明機材・照明技師すべてを請け負いました。絶対お薦めだから見てくださいね。

2014年10月6日(月)
時代劇の世界

春日太一「なぜ時代劇は滅びるのか」を読んだ。この本を読んで僕の小さいころを思い出した。僕の実家は60年以上前から映画を作る仕事をしている。映画全盛時代に父が嵯峨映画という照明技術者及び機材貸し出し業をはじめた。我が家には昔から国際グランプリを受賞したような有名な技術者がたくさん出入りしている。名声の割に彼らの生活は裕福ではない。僕はこの本に書かれていることが良く理解できる。今振り返ると京都太秦の凋落が決定的になったのは1971年の大映の倒産。テレビに押され、映画が斜陽化し、映画会社がスタッフを放出。著者いわく、撮影所のシステム崩壊とともに役者、監督、スタッフも切り捨てられた。テレビの世界は効率最優先。手間隙掛かる割に儲からない時代劇はお荷物。こうして、時代劇を中心とする京都の映画界はだんだん東京の下請け化し、安定な生活の糧が得られなくなった。これではどんな伝統も廃れてしまう。
でも時代劇がなくなるのは寂しい。時代劇も日本の誇るべき文化。京都には百年の時代劇製作に根ざしたノウハウとチームワークがまだ残っている。時代劇は京都でしか作れない。クールジャパンで見直されている日本の伝統のひとつとして時代劇もまた見直されてほしい。

2014年8月13日(水)
朝日新聞と慰安婦問題

朝日新聞が、これまでの従軍慰安婦報道は間違っていたと紙上で認めた。現在の従軍慰安婦問題の論拠はすべて朝日新聞記事に端を発しており、その記事が間違っていたということは強制連行はなかったということになる。しかし朝日新聞は謝罪しない。慰安行為は事実だから強制連行がなかったといって許されることはないという。でも慰安行為と強制連行は違う。我々がいま世界中からバッシングを受けているのは、軍が意に沿わない人々を無理やり連れて行ったという“強制連行”。朝日新聞は反省していない。ことの重大さを考えると、間違ってましたではすまないと思う。
我々は好むと好まざるに関わらず、日本人として先人がしたことすべてを背負う。だから事実を知りたい。ことは日本人や先人の名誉の問題。
僕は戦後生まれ。だけどなんとなく敗戦のどさくさを覚えている。高校の頃までは日本の軍人さんを尊敬していた。日本人は戦争の被害者と思っていた。空襲の被害、悲惨な南洋での戦い、特攻隊、原爆の被害。ソ連によるシベリア抑留の悲劇。。。
日本がアジアの人たちに迷惑をかけたと気づいたのは遅ればせながら大学紛争の頃。この点だけ、大学紛争はよかった。今から思うと僕の自虐史観もその頃から始まった。朝日新聞に代表される自虐史観こそが反戦、平和、革新であり知識人であった。
インドネシアで1年過ごしたことがある。インドネシア人の対日感情はとてもいい。インドネシアはもともとオランダの植民地。日本軍はオランダ軍を追い出し、日本が戦争に負けた後も、残留日本人がインドネシア軍を組織し、スカルノ大統領とともに再びオランダ軍と戦った。インドネシアの独立に日本人は深く関わっている。こういうことも事実。
もちろん日本がアジアの人々に対して犯した罪は一生償えない。これからもただただ被害を受けた方々に謝るしかない。でも事実はたくさん知りたい。いい事実も悪い事実もすべて知ったうえで日本人の歴史を背負いたい。その意味で朝日新聞は片寄っている。

2014年6月9日(月)
客の資質に合った店

再びグルメ話題。「堕落のグルメ」友里征耶からです。
「飲食店は誰にも平等ではない。これは事実。店は(常連)客に育てられると言われるが、不良に育てるのも親(客)。
高額店と縁ない人たちが高額店に対し己の常識、慣れ親しんだルールやマナーを持ち込むことはNG。喫煙や大騒ぎといった高額店にふさわしくない雰囲気になってしまったら、店の損害は計り知れない。
店の雰囲気や風紀は店主だけではままならない。客が造り出すものでもある。“己の資質に合った店選び”が客にも求められる。」
なるほど!高額店に縁ない自分を値踏みするとすれば、僕の場合は単価5,000円〜10,000円程度の居酒屋というところか。。。

2014年6月9日(月)
地球の植生を守ったのは化石燃料

「木材・石炭・シェールガス」石井彰を読みました。納得!
僕は里山は豊かな自然と共生して生きていくための先人の知恵と思い込んでいました。でも実はその昔、里山はほぼ崩壊状態だったと著者は主張する。里山が復活できたのは、大正末頃から化石燃料を使い始めたから。化石燃料の使用によって薪炭の搾取がなくなり、日本の自然植生が大きく復活した。
現在日本のエネルギー消費量は江戸後期に比べ約40倍。一人当たりで約10倍。人口は4倍。これだけのエネルギーを薪炭だけでは賄えない。人は持続可能以上のエネルギー使用社会を作ってしまった。
化石燃料のエネルギー密度は膨大。地表面積当たり出力密度=コンバインドサイクル発電所で大型太陽光発電所の2000倍から3000倍。
太陽光発電は化石燃料発電よりこれだけ植生を犠牲にする。気温激変抑制、汚染物質浄化、保水、CO2吸収=酸素供給、良好な景観といった植生機能を損なってはじめて太陽光発電が成り立つ。太陽光発電や風力発電が環境に優しいと言うのは導入量が比較的に少ない場合のみ。
エネルギー問題に特効薬はない。20〜30年後に来る人口減少時代を待つしかない。いまは地道にエネルギー源の多様化と省エネ化に努力するしかない。

2014年5月7日(水)
和食について

久しぶりです。この間いろんな本読んだけど、今日は「和食の知られざる世界」辻芳樹を紹介します。
食は文化。食は楽しい。でも残念ながら僕は味音痴。本物が理解できたら楽しいだろうなぁ。食は料理を作る人だけのものではない。客として料理人に存在を覚えてもらって、料理人と一緒に切磋琢磨することも、料理の進歩にとってとても大切。
長い歴史を通して日本人は、和食を世界のどこも真似できないレベルにまで洗練してきた。
料理はすべて同時進行。掃除の仕方、表方のサービスの態度。そういうものを日本人は磨いてきた。店のしつらえから女将さんの物腰、料理に使われる器のレベルまで、トータルに和食を育ててきた。いい店は店構えもそれなりのものとなる。
料理人は料理に趣向を凝らし、季節感を盛り込み、旬の食材を生かし、彩り、バランスや立体感を考えて盛り付け、料理と器の調和、料理を出すタイミングまで考え抜いて、ありとあらゆる面からの食の時間と空間を演出する。僕はあまり経験ないけど、菊乃井、木乃婦、たん熊、京都吉兆、瓢亭といった本物の老舗が京都にはたくさんある。これらは日本の文化、宝です。
著者は、食習慣の変化で日本人全体の味覚が変わってきたことを懸念している。和食の老舗が衰退するかもしれない。長引く不景気で、値段の安い店しか生きていけなくなっている。安さだけを求める姿勢は和食を潰す。本物を維持するには費用がかかる。その費用は利用者も負担しなければならない。
スイスで小学生の女の子が1個80円もする国産卵を買っていた。なぜ輸入品よりはるかに高い卵を買うのかとの問いに、その子は「これを買うことで、農家の皆さんの生活が支えられている。そのおかげで私たちの生活が成り立つのだから当たり前でしょ」といった。文化を守るということはこういうことなのかもしれない。

2014年5月7日(水)
炭水化物が日本を滅ぼす

夏井睦の本です。炭水化物を制限すれば健康になれると主張する本。ネットで見たら著者の主張する糖質制限については賛否両論。
僕個人は炭水化物大好き人間。お米、うどんなんかは絶対止められない。本当においしい。
でも、これらの糖分量はすごいということを一応知っておくことにします。
6枚切りの食パン1枚には炭水化物30g、白米飯1膳・素うどん1玉には55gの炭水化物が含まれ、それぞれ角砂糖に換算すると、約8個、約14個。

2015年3月1日(日)
メガソーラ

先月、京都府京丹波町の栗園の中に1,177kwメガソーラが完成しました。僕はこれまでいろんな発電所を作ってきたけど、再生可能エネルギーの発電所が一番楽しい。このたびこんな大きな発電所を作らせてもらえて幸せです。太陽光発電について、「一部の金持ちが一般大衆からお金を巻き上げるシステムだ」という批判があります。でもお金は日本に落ちるからいいじゃないですか?これから2〜30年、化石燃料も使わなくていいということは素晴らしいことだと思いませんか?

2015年3月1日(日)
太陽光発電所

今月、福岡県で608kw太陽光発電所が完成しました。太陽光発電の固定価格買取制度のプレミアム調達単価も今年で終わります。でも太陽光発電はなくなりはしないと思います。いいことをやりたいと言う声はまだまだあります。

2015年3月1日(日)
最貧困女子

今年の正月に読んだ鈴木大介「最貧困女子」という本が頭の中から離れない。
親からも周りの人たちからも見捨てられ、救いようないほど面倒くさくて可愛らしくない人たちの話。世界と細々とつなぐ売春ワークからすら弾き飛ばされようとしている。誰も振り返らず誰も助けない。助けてくださいと言える人と言えない人、助けたくなるような見た目の人とそうでない人がいる。確かにこんな人はいる。決して自己責任の問題ではなく、自分ではどうにもできない、周りからは理解できない病気のようなものを抱えている。何も与えられず、何にも恵まれず、孤独と苦しさだけを抱えた人たちを、助けたいというより見たくないと思う自分がいる。この人たちにとってこんな残酷なことはないだろう。

2015年3月6日(金)
バイオマス発電について

今年頃から日本中で木質バイオマスによる再生可能エネルギー発電が始まります。
運転開始されるバイオマス発電量 約76.6万kw
必要木材量(古市試算/全量木質使用として) 4,100万m3/年
2012年度国内製材量(講演会発表) 1,848万m3/年
前から疑問でしたが、いったいどこにそれだけの木材があるの?日本中の山は丸裸になってしまうのではないか。どうしても持続可能とは思えません。
固定価格買取制度は林業振興の観点だけでなく、エネルギーの観点から見直す必要あると思います。木材は暖房や給湯に利用すべきで発電に利用すべきではない。発電の際に発生する排熱が問題になります。ヨーロッパでは熱利用という観点だけで木材燃料市場を育てています。やっぱり大人。筋が通っている。

2015年4月30日(木)
さみしいなあ

今月初め大学時代の後輩の女性が亡くなりました。息子さんから連絡あってお通夜に行ったのですが、今まで経験ないくらいさみしいお通夜でした。さみしいと思ったらかわいそうな気がします。でもやっぱりさみしい。
さみしいお通夜は余韻がいっぱい心に残ります。みんないずれ死ぬ。だからみんなさみしい。さみしいから人は優しくなれるのかも。お葬式はさみしくて当たり前か。でもやっぱりさみしいのはつらい。僕も僕の周りの人も、さみしさを感じることなく生きて欲しいな。

2015年4月30日(木)
水力発電

いま、箕面のNPOで40年前に休止した水力発電を復活させるプロジェクトがあります。水路は途中で分断され、まだ水路全線を踏破できていません。水力発電を復活させ、先人の苦労を子どもたちに実感してもらえればいいなぁ。道路から見ると川は深い山に抱かれているけど、航空地図で見ると採石場や宅地開発が川のすぐ裏まで迫っている。緑は限られた場所にしか残っていない。先日、水路調査で大きな鹿4頭を見ました。イタチみたいな小動物も見ました。人間の子どもたちだけでなく、この狭い場所に押し込められている動物たちのことも考えてあげなければ。動物とも共棲できる発電所になれば申し分ない。

2013年11月27日(水)
里山資本主義

藻谷浩介の理屈は大好きです。タイトルとは違うけど、貯蓄がどのように国債に代わっていくのかも語られていたので抜粋します。
政府は国債を発行して貯蓄を吸収し、景気対策につぎ込んできたが、それでもお金が自分でぐるぐる回り出すことはなく、消費は一向に増えないままだ。気がついてみると、約1000兆円の借用証書を書いた日本政府に、税収として還ってきているのは年間40兆円未満。毎年税収以上の借金をしないと資金繰りが回っていかない。そうこうしているうちに国内の貯蓄がすべて国債になってしまう状況が近づきつつある。
もうひとつ。再生可能エネルギーの仕事をしていて思うこと。
巷間に言われている、「再生可能エネルギーなんてうさんくさい」という「ある種の正論」が、いかに日本経済の次代の競争力強化にとってマイナスになっているか。

2013年11月27日(水)
三井造船蒸気タービン設計OB会

三井造船蒸気タービン設計50周年OB会がありました。とてもなつかしかったし、呼んでもらえてうれしかった。でもその後に寂しさが残りました。
あれだけ優秀だったエンジニアの集まりも、リタイア後みんな別々の道を歩んでいる。あえて生意気な言い方をすれば、青臭い夢や理想がOBの方から失せている。義務を果たしたのだから老後は楽しくていいのでしょう。でも僕は遊びベタ。仕事以外に楽しいものがない。過去をなつかしむことにあまり楽しめない。三井造船蒸気タービン設計は僕の心の拠り所だっただけに、寂しく感じることがすごく寂しい。今後これだけのみんなと会うことはめったにないだろう。

2013年11月11日(月)
低線量放射線について

前からなんとなく疑問でした。除染ってどこまでやる必要あるの?このままだといくらお金があっても足りないのでは?
こんなとき「低線量放射線を超えて」宇野賀津子を読みました。わが意を得たという感じです。常時の規制値と有事の規制値は違ってもいい。低放射線状況に騒ぎすぎてはいけない。放射線は大なり小なり日常的に浴びているものである。遺伝子の修復も日常的(1日に約50万回)に行われており、人には修復能力がある。
平時は何事も安全側に立って考えればいい。しかし有事は低めの基準が時として手足を縛る。100ミリシーベルト以下での身体への影響は明らかにされていない。
大手スーパーの「新基準値が100ベクレルなら、うちは10ベクレルにします」という宣伝は何か間違っている。正義ぶって、「内部被爆は。。。」と言っている一方で、「絆」などという言葉はとっても白々しい。
少しでも危険性あるなら安全サイドに判断すべき、と危険性を煽る研究者の言説がもてはやされる。その結果、放射線の影響を勉強することなく責任回避の受け売りの連鎖となる。シビアアクシデントがおこったいま、何でも安全側に立って判断するのは別のリスクを上昇させる。私たちはリスクを総合的に判断することが必要である。

2013年9月4日(水)
宇宙真空の相転移

佐藤勝彦の「宇宙は無数にあるのか」を読みました。真空が相移転するということがとても新鮮でした。
インフレーション理論では、宇宙初期に水蒸気が水になったり、水が氷になったりするような「真空の相転移」が起きたと考える。真空は「何もないからっぽの状態」ではなくエネルギーがあるので、異なった状態になることは可能。宇宙初期に相移転が起きたという前提でアインシュタインの一般相対性理論の方程式を解くと、真空エネルギーが斥力として空間を押し広げる働きをする。これが宇宙を膨張させる原動力となった。相転移によりエネルギーが高い状態から低い状態になり、その落差によって「潜熱」が生じ、膨大なエネルギーが放出される。それが熱エネルギーとなってビッグバンを引き起こした。
宇宙は無数に存在し、それぞれ異なった真空のエネルギー密度を持っている。その中で、知的生命体の生まれた地球のみが宇宙を認識する。

2013年9月4日(水)
超ひも理論

吉田たかよしの「世界はゆらぎでできている」を読みました。物質を構成する究極の最小単位を素粒子という。素粒子を構成しているミクロのひもに太さはなく、構成している材質もない。ただ長さのみを持ってそれが揺らいでいる。ひもの揺らぎ方の違いで別々の素粒子の振舞いをする。この長さのみを持つということが超ひも理論の真髄である。

2013年6月24日(月)
会社の太陽光発電所

当社の山口市にある444.8kw太陽光発電所が運転開始しました。太陽光で作られる電気の量は毎日大阪で確認できます。自分の発電所は初めて。モニター見ることがこんなに楽しいとは思わなかった。自然エネルギーをみんなが作れば節電意識も変わるだろうなぁ。。。


2013年6月18日(火)
涙する風土

藤原正彦は「奇跡の日本経済復興論」で次のように言っています。
「アメリカの風土には涙がない。たとえばグランドキャニオンを見ても壮大で美しいが、涙を感じない。しかし日本では、例えば奈良や飛鳥を歩いても、ただの田舎を歩いても、そこには人々の哀歓が、涙が土壌に染み込んでいる気がする。いろんな人と会うたびに、細やかな気遣いに感激することが多く、本当に「美しい国」だと実感します。」
ほんとうにそうですね!日本には古くから人間の営みがある。歴史とは無形の宝物です。

2013年6月18日(火)
男は邪魔

高橋秀実の「男は邪魔」によると、人間の男を家畜の種牛に例えた場合、日本の現在の人口を維持するに必要な男の数は1000人でいい。それ以外の男は廃棄処分。そてってすごいショック。
さらにメスは排卵するときしか受け入れないのに、哺乳類のオスは生きている間じゅう交尾したがる。無駄な交尾。排卵していなくても交尾。オスはどうしようもなく役に立たない。

2013年6月18日(火)
表情筋について

池田清彦の「人間、このタガの外れた生き物」より。
「通常、筋肉は骨に溜まっている。顔の筋肉だけが皮膚に溜まっている。表情筋という。だから我々は表情をいろいろ変えることができる。下等な動物は表情筋がないから、喜怒哀楽がよくわからない。表情がないから苦しいのか痛いのかわからない。だから我々は昆虫を毒瓶に放り込んでもニコニコ笑っていられる。」
そうか、相手に表情があるから我々は痛さを想像できるのだ。たとえば魚は痛点少ないと言われるけど、本当は痛くてただ表情に出せないだけなのかもしれない。

2013年5月7日(火)
団塊の世代の生き方を省みて

団塊の世代の一員として私たちの世代を振り返ってみます。
私たちの世代には自分たちが社会を切り開いてきたと自負している人が少なからずいます。実際は子供の頃から、敷かれたレールの上を如何に早く走るかばかりを競争させられてきただけ。創造的なことなどしなくても雇用はあった。今日より明日のほうがよくなるとみんな信じていた。糸を垂らすだけで魚は釣れた。つまり地球に包容力があったと思う。地球は広く資源は無限大だった。魚の釣り方や育て方は知らなくても生きていけた。
今ではみんな地球は狭くて繊細であることを知っている。でも私たちはライフスタイルを変えなかった。既得権にしがみつき新しい改革の芽をつぶしてきた。我々は逃げ切るからいい。でもこれから生まれてくる子供たちに起こるいろいろな危機の少なからずは私たちのしてきたことが元凶となる。全員が悪いとは言わないが、結果として我々は罪深い世代だと思う。

2013年5月7日(火)
本当は怖い動物の子育て

「本当は怖い動物の子育て」(竹内久美子)を読みました。テレビ番組や動物園が伝える美談からは程遠い、動物たちの恐ろしく、たくましい、間引きや育児放棄の姿を伝えている。いま子育てに息苦しいと感じている人に、著者はそれでも自然で少しも悪くないと諭す。
人間も動物も子どもを持ったからといって、即座に「母親」や「父親」にスィッチが切り替わるわけではない。そんな毎日の中、子につらく当たり、手をあげてしまいたくなるような状況に直面することは誰にでもある。それは本能の喪失などではない。動物としてごく自然なこと、恥ずかしいことではない。人間は他の動物とは違う、などと思い込み、自分を追い詰めるようなことはしてはいけない。
子育ては一族でするのが望ましい。その観点からは母系社会に回帰するほうが自然。これまで父系制社会が多いのは男のほうが腕力・武力に勝っていたから。現代はもはや武力の時代ではなくなった。母系社会のほうが少なくとも子育てはやりやすくなる。

2013年3月20日(水)
草原の椅子

実家が「草原の椅子」の照明を請け負いました。招待券もらったので映画を見てきました。親に見捨てられた子供を中心にした、50歳過ぎた大人たちの人生と心の葛藤を描いた映画。舞台もパキスタン山奥の大自然。とても素敵な映画でした。大人の愛って落ち着いてていいなぁ。人は何歳になっても人を愛せる。人は何歳になっても純粋でいてていい。

2012年1月7日(土)
新幹線

新幹線はすごい。東京行きの最後尾がまだ京都駅のホームにあるとき、もう次の東京行きがホームに入ってくる。それが3分間隔で時速200km以上で走る。駅員さんはみな自分の持ち場をこなしている。我々が見えないところでもみな頑張っている。新幹線の高精度な車輪の芯円度のおかげで騒音も振動も感じない。運転手はダイヤを守るため走行中ずっと計算している。我々が寝静まった後に保線の方々がレールを点検する。縁の下の力持ちで新幹線は支えられている。日本人は普通の人々が素晴らしい。「新幹線お掃除の天使たち」という本を読みました。お掃除という日の当たらない仕事をするおばさんたちのてきぱきした仕事振り。礼儀正しい列車と乗客の出迎え。海外から視察に来た人たちはこのおばちゃんたちを連れて帰りたいと言う。本当に新幹線はチームワーク、日本人の心で動いている。

2013年1月7日(月)
今年のお正月

前からやりたかった太陽光発電の仕事を昨年はすることができました。この分野でお役に立てることも少し実感できました。環境とエネルギーは僕のライフワーク。今年は自然エネルギーや省エネルギー普及のために全力投入したいです。
そんな思いで始まった今年の正月。息子夫婦の帰省により孫三昧の楽しい生活でした。僕の正月の写真を添付します。愛犬とのツーショットです

2013年1月7日(月)
原発事故の証言者

3.11の原発事故に関して官邸側当事者の証言本「原発危機・官邸からの証言/福山哲郎」、「東電福島原発事故・総理大臣として考えたこと/菅直人」がでています。臨場感持って最善尽くした様子が語られています。東電本社、原子力安全委員会、保安院などがほとんど機能しなかった様子も実名入りで描かれています。できれば東電側からの反論本も見てみたい。
この本による原発感とは次のようなものか。
原発推進することが自己目的化した。「経済成長」と「原発は低コスト」という架空の神話が作られ、「原発の危険性」「使用済み核燃料」「廃炉」といった厄介な問題に蓋をしてしまった。原発は安くない。原発は電力会社の収支を改善するが、使用済み核燃料などの処理コストは国家に委ねられる。プルトニウムの半減期は24,000年、使用済み核燃料の有害度が元の天然ウランと同じレベルまで下がるのに少なくとも10万年。その間の維持管理費がいったいいくらかかるかとても計算できない。にもかかわらず使用済み核燃料は核燃料サイクルを前提とした資産として計上されている。たかが40年間の電力確保と豊かさを享受するため、数万年も処理に要する排泄物を出し続ける権利が果たして現代人にあるのだろうか。未来の子供たちと人類にいったいどんな言い訳をするのだろうか。
同感!資源エネルギー庁や電力会社・電事連、原子力ムラ等、日本のエネルギー政策を司る人々はせめて分散型発電や再生可能エネルギーの普及に協力して欲しい。

2013年1月7日(月)
人の命は地球より重いか

2013年1月7日
原発事故のとき、作家の佐藤優氏がブログで菅首相の置かれた立ち位置を語っている。同感なので紹介する。国家のために個人は犠牲になることもある。
「国家的危機を救うために生命の危険にさらされる任務があることを我々国民はよく自覚しておく必要がある。戦後日本の国家体制は、近代主義によって構築されている。その核となるのが生命至上主義と個人主義だ。個人の命は何よりもたいせつなので、国家は生命を捨てることを国民に求めてはならないという考え方である。しかし、国際基準で考えれば明らかなように、どの国家にも無限責任が求められる職種がある。無限責任とは、職務遂行の方が生命より重要な場合のことだ。日本の場合、自衛官、警察官、海上保安官、消防史員、外交官などがその本性において、無限責任を負う。通常の場合、東京電力関係者に無限責任は想定されていない。しかし、福島第一原発の非常事態に鑑み、専門知識を持つものが自己の生命を賭して、危機を救うための努力をすることが求められる。マスメディアは詳しく報道していないが、現場では日本の原子力専門家が危機から脱出するために、文字通り命がけで働いている。菅首相は、危機を回避するため無限責任を要求する超法規的命令を発することを躊躇してはならない。菅首相は民主的手続きによって選ばれた日本の指導者として、職業的良心に基づいて日本国家と日本人が生き残るために必要とされる全てのことを行うべきだ。」

2012年10月1日(月)
領土問題

「領土問題」 2012年10月1日
領土問題を語ることはとても難しい。意見を語ると友達を失くしてしまいそう。でも勇気を出して語ってみます。これまであまり事情を知らなかったので「日本の国境問題」孫崎亨、「日本の領土問題」東郷和彦、保阪正康を読みました。
日本が竹島を領有化したのは日韓併合直前。日本が尖閣諸島を領有化したのは日清戦争最中。竹島及び尖閣問題は韓国や中国にとって歴史問題そのもの。先の戦争を日本人はどう反省したか?何度も謝ったというがそれで居直ってないか?謝ればすむことでないことはもっと謝るしかない。
ただ日本にとってはこれらは完全に領土問題。理屈も適っている。日本の主張は国際社会に十分通用するはず。人も住まない小さな島といえども領土問題は日本人の誇りの問題。妥協は仕方ないとしても主張は曲げてはいけない。でも威勢のいいことは言ってダメ。NATO(Not Action Talk Only)がいいなぁ。日本人に戦争する気力はない。平和的手段以外にありえない。武力はもちろん、経済でも今後特に中国には勝てる見込みはない。

2012年10月1日(月)
原発ゼロの波紋

政府のエネルギー・環境会議は2030年代原発ゼロという結論を出した。
この結論に対していろいろな意見がある。そのひとつ、米戦略国際問題研究所CSIS所長の新聞投稿記事を紹介する。
「今後30年間で中国は75〜125基の原子力発電所を建設する。日本が原発を放棄し、中国が世界最大の原子力国家になったら、日本は核不拡散に関する世界最高峰の技術基準を要求する能力も失ってしまう。国家安全保障の観点から、日本は原子力国家であり続ける必要がある。」
地球上からすべて原発をなくさない限り、そして人類が原発なしの範囲にエネルギー使用量を抑える覚悟を持たない限り、われわれは原発の脅威から解放されることはない。中国にこの技術をまかすことは不安。一旦原発の技術者を離散させたら、これまでの技術は崩壊する。成熟度合いの低い国に原発のリーダーを任すことはとっても不安。やっぱり日本の原発はゼロにしてはいけないのだろう。減らすというのが現実的な選択ではないだろうか?

2012年8月6日(月)
パチンコに日本人は20年で540兆円使った

若宮健の本です。2010年の日本のパチンコの売上げは19兆3800億円。1991年以降、540兆円がパチンコに消えているそう。
パチンコ屋さんには発電機でお世話になっているけど、それでもやっぱり考えてしまう。これだけあったら国の累積債務900兆円の半分以上返せるのになぁ。

2012年8月6日(月)
固定価格買取制度における太陽光発電

2012年8月6日
7月から始まった再生可能エネルギー固定価格買取制度のおかげで太陽光発電の仕事がたくさん増えました。国民全員で自然エネルギー発電の促進を支えようとする制度です。僕は自然エネルギー発電は子供たちへの電気のプレゼントだと思っています。
原子力発電は放射能汚染という巨大なツケを次世代の子どもたちに負わせます。化石燃料発電は海外からの燃料購入や温暖化による負担を負わせます。どちらも今の世代は便利で快適な生活を享受できますが、50年後にこの地球上に暮らす人々にとても大きな負担を残します。「世代間の公平」という問題が私たちにいま突きつけられています。
その点自然エネルギーはいい。建設費の負担は今の世代。一旦設置すれば安全で安価な電力が供給されます。即刻原子力を停めろとは言いません。でも微力でもいま太陽光発電に関われることをとっても嬉しく思います。

2012年8月6日(月)
地球のからくり

シェールガスが安く採掘できるとか、日本近海にレアアースやメタンハイドレイトなどの資源が一杯とか、資源問題の将来を安堵する風潮もあります。これはこう考えればいいのだという本を見つけました。大河内直彦の「地球のからくり」です。
複雑な構造を持つ有機分子といえども、数百\cという高温下では小さな分子へとどんどん分解されていき、最終的には自然界で最も単純な有機分子であるメタンへと変化する。光合成によって変身する二酸化炭素は大気中に存在する二酸化炭素の約1/5。生まれ続ける有機物は次から次へと分解され、その際に酸素を消費する。目にも見えない小さな微生物がその重要な担い手だ。つまり炭素は、二酸化炭素と有機物の間を行ったり来たりしているのである。これが「炭素サイクル」と呼ばれるもの。
自然界ではこのサイクルから脱落する連中が少しばかりいる。海の中をゆっくり沈んでいくプランクトンの死骸マリンスノーの大部分は海底で分解されて再び二酸化炭素や水といった、光合成の原料に戻る。しかし全体の約0.4%ほどは分解を免れて海底の泥の中に紛れ込み、分解されない有機物として堆積物の中で過ごす。炭素サイクルから抜け出た炭素の不足分は火山活動が再び補充する。有機物を含んだ海底堆積物は降り積もって、プレートに乗って水平移動する。そして1億年ほど経つと、プレートが沈み込む海溝を経て、地球内部へと持ち込まれていく。地球内部へ持ち込まれた有機物の一部は高温高圧下で周囲の物質と反応して二酸化炭素になる。火山ガス中に含まれる二酸化炭素は、このような起源をもっている。これを「地球サイクル」と呼ぶ。
石炭、天然ガスといった化石燃料とは全て「地球サイクル」側に含まれる物質であり、人類はそれらを無理やり生物サイクルに引っ張り込んでいる。おかげで生物サイクルを巡る炭素の総量が年々増加し、その必然的な結果として大気中の二酸化炭素が増え、酸素が減っている。「地球サイクル」の資源に手を出すかぎりいずれ限界はくる。

2012年6月27日(水)
お金の消費期限と日本の国富

いろんな人の考え方に触れることができるので特に新書を読むのが好きです。
浜矩子「通貨はこれからどうなるのか」に、前から考えていたことが書かれてありました。
「食べ物は消費期限を過ぎれば腐る。金属は錆びる。洋服はボロボロになる。家も傷む。だがカネだけは銀行に預けておけば利子がつく。時間とともに価値が上がる。これはおかしい。カネがこんなだから欲の皮を突っ張らせてカネ儲けのためのカネ回しをやる。いっそ通貨の価値を期限ごとに下げていけば?」時間と共にカネの価値が下るとなれば、消費者は不要不急大量生産使い捨て商品を買うだろうか?それとも価値が長続きする本物の商品を買うだろうか?本物を作る人が報われる社会になって欲しい。
日本は文句なしに世界一のお金持ちということも書いてあった。
国富(政府や企業などが保有する資産から負債を差し引いた金額):2009年末で2,712兆円
日本の海外に対する債権残高から負債残高を差し引いた金額:2010年度末で251兆円
2010年経常収支:貿易収支8兆−サービス収支1.5兆+所得収支11.6兆=17.1兆円黒字
2011年度ははじめて貿易収支だけ赤字。金持ちの実感はまったくないが日本はすごい!

2012年6月27日(水)
第四の消費

今の経済活動では地球は持たない。我々はどんな生き方をしたらいいのだろうか?三浦展の「第四の消費」という本を読みました。
これから始まる消費社会を筆者は第四の消費社会と呼んでいる。その特徴:
1. 個人志向から社会志向へ、利己主義から利他主義へ
2. 私有主義からシェア志向へ
3. ブランド志向からシンプル・カジュアル志向へ
4. 欧米志向、都会志向、自分らしさから日本志向、地方志向へ
5. 「物からサービスへ」の本格化、あるいは人の重視へ
人が物を買う時代は終わった。人は情報を交換し、そこからよろこびを得ようとする。
これからの企業に求められているものは、コミュニケーションやコミュニティを生み、人と人のつながりをデザインする能力である。ただ単に大きなビジネスがしたいなら海外へ出向けばいい。
3.11大震災以降、日本人は津波に流されるマイホームやマイカーを見て、物を所有することの空しさを感じた。いらない物を買わない、つくらない、昔から使われている物を大事に使う、そういうシンプルな暮らし方をこそ求めるようになった。
経済大国二位の座を中国に譲った現在、日本人は経済大国に代わる誇りを日本の伝統文化に求めている。ほとんどの国民は経済大国二位の座から落ちたことに失望していない。
物を売り逃げしてきた今までと違って、第四の消費時代は手間がかかり利幅少ない。しかしこのシェア型ビジネスの成否がこれからの地球の運命を決める。



2012年5月25日(金)
何が問題なのか?

エネルギーのあるべき姿を夢見て自家発電の仕事を始めました。仕事を通じて電力会社の役割の大きさを実感しました。電力会社はこれまで持続可能エネルギーの普及を阻止してきたのではないか。この責任はとても重いと思います。
環境技術分野の世界トップランナーである日本でなぜ自然エネルギーが普及しなかったのか?環境ビジネスはなぜ冷や飯を食わされるのか?高速道路のような公共財である送電網がなぜ電力会社に占有されるのか?1%程度しかない自然エネルギーが「電力系統乱す」と排除されるのはなぜか?世界で固定価格買取制度の有効性が実証されているのにRPS法(電気事業者による新エネルギー等の利用に関する特別措置法)に固執するのはなぜか?
これらの根っこは結局「原子力ムラ」と同じような気がします。電力会社こそ利権だけでなく、エネルギーのあるべき姿を追求する組織であって欲しい。

2012年5月25日(金)
シェールガス

天然ガスの時代がはじまろうとしています。シェールガスが脚光浴びています。掘削技術の向上によって地下1000mから2600mの頁岩を水圧で砕く採掘法が経済的に可能になりました。いまや地球上でガス埋蔵量は倍に、アメリカの天然ガスの価格は日本の1/9になりました。ガス値段が下がることを期待する人も多い。でも地中を破壊しても大丈夫なのでしょうか?シェールガスについて次のことが気になります。
    ガスが安くなれば省エネマインドが薄れる
    破砕のために大量の水を使う。
    地層を融かしたり、摩擦を減らすための化学物質が水質を汚濁する。
    採掘場で地震発生(すでに10倍になっている)。

2012年5月8日(火)
僕のゴールデンウィーク

息子が海外出張で、その間お嫁さんが91月の孫を連れて我が家に滞在してくれました。とても楽しい夢のような2週間でした。もう仕事なんかどうでもいいです。赤ちゃんってかわいい。たとえ不機嫌でもその泣き顔もまたかわいい。幸せってすぐ近くにあるんだ。環境や、政治や、仕事や、そんな大それたコト考えてると幸せ感が遠のいていく?

2012年3月28日(水)
ブラックホール

ブラックホールは非常に重い恒星がその一生の最後に大爆発起こしたときにできる。その星の中心部は爆発の反動で急激に縮み物質が圧縮され、巨大な重力により光さえ脱出できない。これがつまり宇宙のはじまる前の状態?このブラックホールが再び膨張するとき(ビッグバン/ホワイトール)が新しい宇宙の始まり?そうすると宇宙は実はブラックホールだけの数あって我々はたまたまその中のひとつの宇宙に住んでいるにすぎない?

2016年3月28日(月)
時空

時空は時間が1次元、空間が10次元の、合わせて11次元。私たちの日常経験では空間は3次元に見えるけれど、これは10次元空間のうち7次元がとても小さく縮んでいるから。しかし目に見えない次元からの影響は確実に受けている。

2012年3月28日(水)
放射能

放射能には環境ホルモンのときと同じ不気味さを感じる。手出ししてはいけないところに人間は手を染めてしまった。でも最近環境ホルモンのことあまり騒がなくなったと思う。最強猛毒のダイオキシンであっても問題ないという意見もある。確かに福島第一原発の放射能で亡くなった方はほとんどいない。もちろん放射能は浴びないに越したことはないけど本当はどうなのだろう。今回の放射能は後世でどのように評価されるのだろうか?

2012年3月27日(火)
町内会長

ようやく町内会長の仕事が終わりました。太秦という郊外生まれ育ちの僕は京都中心部のすごさを知りませんでした。民衆が京都の街を何百年と守ってきたのですね。決して役人をあてにしない。先人がしてきたことと同じことを継続する。これが続いているからすごい。町内神社のお祭り(神事ごと)、地蔵盆、運動会、新年会、各種世話役の仕事、泥臭い人間関係。結構一年間大変でした。
僕の町は鉾町ではないけど、祇園祭りのお囃子の練習なんか一年中聞こえてきますよ。
京都人はプライド高く意地悪だとよく言われます。確かにそのとおり。でも自分たちの街を守ろうとする気概は格別。脱帽です。

2012年3月5日(月)
ゾウの時間とネズミの時間

「ゾウの時間とネズミの時間」 2012年3月5日
本川達雄「生物学的文明論」がおもしろかったので抜粋します。
ゾウの寿命は100年、ネズミは数年。でもゾウもネズミも一生の間に打つ心臓の回数は15億回。どちらも体重当たり30億ジュール分の仕事をして死ぬ。つまり寿命の長さに関係なく一生の間に使うエネルギーの量は同じ。速い時間の動物は短命ということにすぎない。
人の場合は15億回打って41歳。これが自然が設計した人間の寿命。しかし人間は大量のエネルギーを使って時間を速め、多大な医療費、介護費用を使って寿命を延ばしている。人間の時間は環境問題である。
生物は時間のベルトコンベアをエネルギーを使って自分で回している。ネズミはエネルギーをたくさん使ってベルトを速く回す。ゾウはゆっくりと回す。冬眠中はほとんど回さない。
速い時間とゆっくりの時間とでは時間の質が違う。その中で経験できることにも違いがある。41歳以上の人間の生はおまけ。おまけの分をわきまえ、環境に与える負担をできるだけ小さく生きていきたい。

2012年1月31日(火)
原発のコスト

原発の発電コストを低く設定することによって電力会社は原発をドル箱にしてきた。原発に要する見えないコストは私たちの税金が賄っている。大島堅一「原発のコスト」を読みました。やはり脱原発しかない。長くなりますが抜粋します。
<原発事故費用のうち、金銭で表せる部分>
損害賠償費用、事故収束・廃炉費用、現状回復費用、行政費用あわせて9,340億円
<発電事業に直接要するコスト>
著者算定の原子力単価は8.53円/kwh(経産省は5~6円/kwh)、火力9.87円/kwh
<立地対策コスト>
運転開始まで、開始後(含む固定資産税)、運転開始後30年超えでそれぞれ交付金がある。原発一機あたり45年間で1,240億円。別にプルサーマルへの交付金もある
<事故コスト>
IAEA安全目標事故頻度:10万炉年分の一の確率。福島第一原発事故:500炉年分の一。そもそも事故コストをkwh当たりの価格に表すことは大きな無理がある
<廃炉後のバックエンドコスト>
2004年総合資源エネルギー調査会によるバックエンドコストは18兆8,000億円
<バックエンドコストに含まれていないコスト>
ウラン濃縮後に残る劣化ウラン・使用済燃料回収ウラン処理費。MOX使用済み燃料再処理コスト。高速増殖炉開発コスト。ウラン燃料製造施設の運転、解体、ウラン廃棄物処分費
<再生可能エネルギーは原発に代わり得るか>
現発電量の20%を15年かけて再生可能エネルギーで賄うのに必要な費用は年平均2兆円
原発なくして減る費用は年平均約2.64兆円。脱原発の便益はコストを上回る
<私たちは脱原発にいかに関わるべきか>
原子力政策を推進してきた体制を完全に解体しなければ、「原子力村」は復活してくるだろう。将来世代に、放射性廃棄物と事故リスクという巨大な負の遺産を残すのか、再生可能エネルギーを中心とするエネルギー体系を残すのか。これは私たちと将来世代にとってのコストの問題である。「原発のコスト」を回避すること、これは脱原発によってのみ可能である。
福島第一原発事故は、技術的な安全対策がとられていなかったことが原因と言われるが、それは原因構造の表面でしかない。なぜ安全対策が取られなかったのか。それは、エネルギー政策形成にあたって、原発の真のコストが隠蔽され、利益集団の都合の良い判断のみが反映されてきたからである。このような仕組みがなくならない限り、また新たな問題が発生するであろう。福島第一原発事故の教訓を生かすためには、国民が強い政治的意思を形成しなければならない。脱原発社会の実現は、私たち自らの「責任ある関与」にかかっている。

2012年1月4日(水)
今年の正月

今年は息子夫婦が初孫連れて帰ってきました。おかげでとても楽しい正月でした。僕はひねくれているから、こんなステレオタイプなことでは喜ばないと思っていました。でも赤ちゃんってかわいい!こんなにいとおしい存在とは想像できなかったです。もちろんこれからもいいことばかり続くわけではない。子供に関しては幸せも不幸もまわりに増幅する。覚悟はしよう。それにしても赤ちゃんって大きな存在だなぁ。

2012年1月4日(水)
財政赤字を減らす覚悟とは

大前研一の「リーダーの条件が変わった」を読みました。2011年当初予算92兆円。歳入は48兆円なので財政赤字は44兆円。この赤字をなくすためにどうするか?
1. 国家公務員と地方公務員、さらに郵便局や国立大学法人の職員など公務員に準ずる人々700万人の総人件費年間60兆円を40兆円にする。つまり、公務員数をギリシャと同様1/3削減して20兆円の歳出削減を行う。
2. 消費税を8%引き上げ(消費税1%UPで年間2.5兆円の税収増)20兆円歳入増加を行う。ただし高齢者人口増加に伴い国家財政は毎年1兆円以上悪化しているので消費税は最終18%程度にしなければならない。
3. ゆうちょ総額預金量は約180兆円。ここに休眠口座が数十兆円ある。このお金を国家のものとし国債元本償還に充てる。
いまさらながら大変な痛みに気付きました。我々はこれだけの負担に耐える覚悟があるだろうか?我々は社会やリーダーに不平不満を言う。でも我々に覚悟がないからこんな社会やリーダーになってしまったのかもしれない。これから我々の勇気が試される。

2011年12月12日(月)
新しいライフスタイル

これまで僕は大量生産・大量廃棄の経済構造の歯車の歯として一生懸命生きてきました。結果として環境破壊の一端も担ってきました。その反省もあって、新しい生き方を探さねばならないとあせっています。
多くの人は、これから生まれてくる子供あるいはその子供たちは地球規模での環境面の重大な危機に直面するかもしれないと思っているのでは?そしてその元凶は僕たちのしてきたことにある。
資本主義経済が自己破壊的であるのは、「太陽からの贈与あるいは地球の蓄積してきた働きを評価しない」、「環境や生態系の持続性を経済活動価値から切離している」ことに所以している。経済を追求することが人間の幸せにつながらない。いまの経済では環境や資源の限界を救うことができない。
新しいあるべき姿も少しだが見えてきたように思います。これからはドラえもんの“のびた”のような生き方を素敵と思えることが大切なのではないでしょうか?
一般に男の求める幸せは争いを伴う。女が求める幸せのほうが平和で身近な思いやりに満ちた社会になるのでは?もちろん男も女もそれぞれいいとこ悪いとこがあります。でもいちど男は女の脇役に甘んじて女の幸せを応援してみたらどうだろう?すでに日本は特に若い人はその方向に向かっているのかもしれない。世界は日本のライフスタイルを注目しています。これからの日本人の生き方は世界のライフスタイルのブランドとなる。そんな未来もすぐそこまで来ているようにも思える。

2011年11月4日(金)
原発について

原発について、柳澤桂子の「いのちと環境」「いのちと放射能」という本から抜粋します。いつも同じような本に共感し、それでいて何も変えない自分と周りに嘆いています。
「とにかく原子力発電はやめるべき。その一番大きな理由は、高線量の放射性廃棄物を処理する方法がわからないということ。やめれば道は開けます。やめないでいつまでもそれに頼っていては新しい道は開けません。
放射能の本当の恐ろしさは、突然変異の蓄積にあります。
40億年の生命の歴史の中で生きるように作られてきた現在の生物にとって、急激な変化は致命傷です。これから生まれてくるたくさんの子孫にこれまでの美しい地球を残すため、快楽のために無制限に放射性物質を放出するようなことを止めなければならない。
砂漠化はどうしたら止められるのでしょう?荒れ放題の森林はどうやって立て直したらいいでしょう?悲惨な未来を避けるために地球温暖化に対してなにをすればよいでしょう?
多くの問題は国境を、国家を、地域を越えて取り組まなければならないのにそうなってないのはなぜでしょう?これだけエネルギー節約が叫ばれているなかで、なぜあちこちでイルミネーションがおこなわれるのでしょう?なぜこんなにテレビのチャンネルが必要なのでしょう?
どんなにいい天気でも、衣類乾燥機を使うほうが便利で手間が省けることはたしかです。でもこの豊かさは持続できません。なにをほんとうにたいせつにしなければならないのか、あらためてみんなで考えていくべきだと思います。」

2011年10月23日(日)
日本熊森協会

戦後スギやヒノキを大量に植林しました。しかし安い外来木材が輸入されて日本の林業は壊滅しました。手入れをせずに放置された森はいまや死の直前にあります。
一方日本の工業化は木材の需要をどんどん減らしました。鉄道の枕木、電信柱、建築現場の足場、オフィス家具、樽や桶など液体貯蔵・運搬用具、まな板、木箱までも木を使わなくなりました。
放置された森には日光が入らず下草も生えません。木が、山が死に、森に生物が生きていくことができません。森の死は保水力を弱め、土砂崩れ災害も多発。
最近、NPO日本熊森協会に入会しました。太陽光発電所ネットワークの会に加えて2つ目です。熊森協会は熊が生きることのできる森を残そうという会です。元来熊は里山より民家へ降りてくることはないそう。人間が熊の生活圏を破壊したから餌を求めて人里まで近づくようになった。
熊森協会の趣旨は大賛成。でも僕は何も活動しないだろうし、偉そうなこと言えません。自然保護活動というのも気恥ずかしい。偽善も感じる。それでも本当はこれが僕の一番やりたかったことかもしれない。
山は間伐してあげればある程度復活します。木が売れるようになれば間伐費用もでます。間伐材は燃料としても使用できます。近いうちに化石燃料代替品として脚光浴びるでしょう。日本林業の立て直しは環境の立て直しでもある。

2011年8月23日(火)
初孫

先月、長男に娘ができました。写真見てもおっさんみたいだし、実感わかない!初孫できても僕の気持ちは冷めたままでした。そんななか先週、東京出張の合間をぬって孫の顔を見てきました。実際見るととてもかわいい。ご機嫌なとき、嫌なとき、うれしいとき、それぞれ表情を見せてくれる。産まれてわずか11月あまりだけどすでに一生懸命生きようとしている。その必死さがとてもかわいい。これはかわいいと思いました。僕にも人並みな感情あったんだ。
孫の誕生をもって僕の子育てはすべて終った!命はこうやって引き継がれるのですね。生物としての役割が終わったいま、これからは現役の邪魔しないよう、できれば若い人たちに役立つよう、そして願わくばおじいちゃんとしてかわいがられるよう、残りを生きていきたい。

2011年8月12日(金)
原発のこと

原発をどう考えるか迷っています。
確実に言えることは、我々はこれから放射能とともに生きるということ。
小出裕章先生の原発の本を中心に自分の考えをまとめてみました。
被爆
いま直接問題となっているのは外部被爆。外部被爆では透過力強いガンマ線(放射性ヨウ素、セシウム)が問題。これから本格化するのは内部被爆。内部被爆は透過力弱いアルファ線(プルトニウム)が問題。アルファ線を放出する放射性物質は付着したごくごく近傍の細胞にだけ濃密に攻撃する。体内に取り込んだ放射性物質は1日24時間、何日もずっと放射し続け、外部被爆とは比較にならない影響を与える。内部被爆問題は環境ホルモン問題に通じるような気がする。
汚染
完璧な安全を求めてはいけない。一つ一つの食品に「汚染度」を表示し、個々人の判断で「食べるか食べないか」を決める。自分の命に関わる基準を政府に決めてもらう今の風潮は根本的におかしい。60歳以上は汚染度の高い食品を食べる。
温排水の問題
日本に降る雨は6,500億ton/年。そのうち川へは全部で4?000億ton/年。日本の原子力発電所から流れてくる7\c暖かい温排水量は1,000ton/年。日本近海は異常に暖かい。温排水は火力発電でも一緒!但し火力効率は原子力の約1.5倍!単位電力量当たり温排水量は火力が少なくなる。
原発のコスト
原発は安いとされている。しかし廃炉にする費用、使用済み核燃料を処理する費用、使用済み核燃料を永久保管する費用はコストに含まれていない。原発は本当に安いのか?使用済み核燃料は最低でも10年は冷やし続けなければならない。
結論
我々の世代は好き勝手に地球と資源を使い、はるか未来の子孫に莫大なコストを押し付けているような気がする。やっぱり原発に頼らない(脱原発)、身の丈あった生き方を模索するしかないのでは?

2011年8月12日(金)
男社会

若い人と年配の人とでだいぶ違いあるけど、男と女はとっても違います。男は女を理解できない!なぜならいまの社会は男社会だから。男は男以外の感性に気づかない!男も無意識のうちに「男はかくあるべき」というステレオタイプの観念にしばられている。男社会は競争や順位づけを競う。その行き着く先が原発や戦争、環境問題!これらはこれまでの政治、経済界、電力会社等の既得権を守る閉塞感の原因ではないか?男社会はいまも底辺で続いている。
なでしこジャパンの活躍は男社会の押さえつけをはねのける新しい時代の始まりを意味するかも。普通の人が輝き、女も時代に参画しようとしている。新しいライフスタイルが広まればいいなぁ。

2011年7月4日(月)
がんばろう

すみません、いつも堅い話で!先週、石弘之先生の講演会を聞きました。
「起きて困ることは起きないことにしよう」これが日本人の精神構造だそうです。
原発は政府と電力会社が一体となっていろいろな利権を守る社会!是が非でも促進を貫き、最初から結論ありきの社会。そして補助金漬けが自治体の自助努力活力を削いでいる。酷だけれども東北の人々の忍耐強さが原発事故を招いたとも言えるのかもしれない。日本人はもっと怒らなければいけないと。
これまでの原発事故をウラン量で比較すると広島で64kg、チェルノブイリで36ton、福島で1,048tonだそうです。
電力消費は30%節約してもたかだか1990年代消費量と同じとか。節電はできるはず。
僕は仕事柄、電力会社の慇懃無礼さを身に沁みて感じています。電力会社はこれまでことごとく分散型発電事業者を潰してきました。発送電分離や自然エネルギー固定価格買取制度も過去十数年、議論以外何もできませんでした。政府も世界に向かってCO2削減の大見得をきるだけで何一つできません。今回は変革への大きなチャンスでした。間違ってもいいから一度みんなでライフスタイルを変えてみません?いま変わらなければいつ変わるのか?それとももう変革は永遠に無理なのでしょうか?
石油枯渇時代は必ず来ます。世界で最も省エネ社会を実現した国が次の世界のリーダー。その最短距離にいるのは日本。これをチャンスに変えたいなぁ。

2011年7月4日(月)
最近の仕事

東京に比べて大阪の街はキラキラ。節電意識も低いと思います。でも東京電力の電力不足が叫ばれて以来、僕はかつてなく忙しい日々を続けています。決して儲かってはいませんよ。不良在庫だった発電機が瞬く間に売れるのを横目で見て景気いいなと思いました。でも発電って難しいのです。発電機があれば電気が使えるわけではありません。いっぱい検討しなければならないことがあって、仕事の数をこなせません。検討要請だけいっぱいあるのでムダで終わるのがほとんど。結局在庫品を右から左に動かすブローカーの人が一番おいしそうに見えてしまいます。物作りがもっと報われたらいいのになぁ。

2011年6月6日(月)
ひだまりさんの死

僕のミクシー友達ひだまりさんが亡くなったことを知らせていただきました。闘病されていたことは知っていましたがやっぱりショック。いつもブログに暖かいコメントいただき、ブログ書き続けることの支えになっていました。ひだまりさんは死後も魂は生き続けると信じておられましたので向こうでお会いすることができるでしょう。死ぬことに対する僕の孤独感も和らげていただけました。これまでに感謝するとともにご冥福をお祈りします。

2011年5月10日(火)
電力不足

僕は自家発電の仕事をしています。電力不足が叫ばれてから多くの超大手企業が日本中で自家発電を探しています。いまエネルギーに新しい風が吹いています。できればこの風を捕まえたい。それが復興に役立つのであればもっと素晴らしい。でもなにか僕の捕まえたい風は違います。今夏の電力不足をどう乗切るかの風だけとしたらこれは復興でなく復旧にすぎない。
原発問題はこれまで散々電気を使ってきた我々みんなの問題。日本のあるべきエネルギーの姿を高い志をもって議論しませんか!原発停止に見合う30%電力削減は自家発電で埋めてはダメ!エネルギー使用量減らすことが先決。これは来るべき石油枯渇時代に対する予行演習でもある。
今大胆な挑戦から逃げれば未来永劫斬新なことはできない!本気で新しいことやり遂げようとする機運が生まれて欲しい。生まれるかなぁ?心配です。
自動販売機を廃止する。サマータイムを実現する。自家用車を減らす!テレビ局を輪番制にする!コンビニ24時間営業を自粛する!試みてみる価値あることはまだまだいっぱいあります。
世界で最も早く省エネルギー社会を実現する国が次のリーダー。日本はいまその最短距離にいる。でももしこのチャンスを逃せばその絶望感はとてつもなく大きい。

2011年3月29日(火)
東北関東大震災

今回の大震災をどう語っていいのか、語る言葉が見当たりません。
でも震災を通じて日本人の共有する心が大きく変わったような気がします。
助け合いの思いが高まっています!
信じられないような風景の真っただ中でも「自分たちよりもっと困っている人たちがいる」と他人を思いやる余裕もあります!人って温かい。
閉塞感漂う震災前の社会は何だったのでしょうか?
日本人は変わった。世界の人も変わろうとしている。日本は世界を変える力を持っている。
何が幸せか、みんな「気づき」があったのではないでしょうか。

2011年3月29日(火)
被災した発電設備の復旧

納めた発電機が被災したので震災後1週間目と2週間目の土日に茨城県へ出向きました。東京駅が少し薄暗い!高速バスから見る東京の街が、道路が空いている。お客様の工場では連日連夜の復旧作業。震災は関わる人たちに仲間意識を芽生えさせ、人に優しく、人の温もりを感じさせてくれる。それにしても車の少ない、少し暗い東京の街は好きです。
地震、津波、原発と打ちのめされてやっと節電されました。ここまでしないと人は省エネしないのでしょうか?いろいろなことを考えさせる震災でした。

2011年2月28日(月)
無縁死について

NHKで報道されて以来、ネガティブな意味で無縁死が問題になっています。島田祐己は「人はひとりで死ぬ」で、無縁死についてこう言っています。
いま私たちは孤独な死を恐れている。死そのものよりも死に方に恐怖している。でも無縁を求めてきたのは実は我々自身じゃなかったか?高度成長以来、人は田舎の血縁社会を振り切り、自由を求めて都会へやってきた。集団就職は我々が求めた自由な生き方でもある。おひとりさまとして生きようとする生き方は徹底した自由な生き方でもある。この生き方を孤独と見るか、自由と見るかは人によって異なっていい。
確かに両方の意味あると思います。一生懸命生きる中で、負担にならない、力になる良縁が得られたらそれは最高だけれど、どこかで現実との間の折り合いをつける必要がある。そのとき無縁あるいは非常に緩い有縁を選択したとしても少しもネガティブではない。無縁であるか否かよりも、日々いかに懸命に生きるかが問われるだけなのでしょうね。

2011年2月28日(月)
デフレの正体

日本経済は景気で循環していない。人口(総人口ではなく生産年齢人口)の波で動くと「デフレの正体」筆者藻谷氏は言う。確かにこれまでの好景気は団塊世代と団塊ジュニア世代が生産年齢にさしかかったときに起きている。声大きい団塊世代以上は今も給与や年金で優遇され高齢富裕者として蓄財を溜め込み、消費しない。添付「日本の総人口の推移」を見てください。生産年齢人口減少する日本の将来は真っ暗。この傾向は他国も似てはいる!さらに高齢化負担ものしかかる。筆者は三つの処方箋を上げています。
1.高齢富裕者から若者への所得移管。2.女性の参加による生産年齢層の増加。3.訪日外国人の増加
どうやら生産年齢世代にもっと手厚い制度が必要ということみたい。
結果論ではあるが団塊世代は人類史上最も恵まれた時代を生きてきた。少なくともこれから若い世代の邪魔をしてはいけない。世代問題は世代間だけで解決するような制度が必要なのだろう!
    

2011年2月17日(木)
ブータンの王女

先日、京都環境文化学術フォーラムでブータン王女の基調講演と、その後の日本大使、GNH会長、京大・千葉大教授、世界銀行副頭取を交えたパネルディスカッションを見て来ました。議題はGDP(国民総生産)に変わる新しい指標GNH(Gross National Happiness/国民総幸福度)について。
経済成長を絶対的な目標とするGDPはあるレベル以上の生活水準で国民の幸福度を測れなくなる。幸福を目指した新しい指標が必要!
貧困には二種類ある。物の不足による貧困と物の過剰による貧困!日本はいま過剰生産による職場不足で失業が増大している。
一番をめざしてはいけない。なぜなら全員が一番にはなれないから。
日本の今後のありかたについて答えは京都にある。京都の民衆は頑なに古いものを守り、果敢に新しいものに挑戦してきた。確かに指針は僕の身近なところにあるのかも。昔を思い出せばいいのでは。
これからはグローバルからローカルへ!フレンドリーライフ、スピリチュアルライフへ。
「国家の政治哲学でも企業の経営理念でも、為して成すのは経営の品質、即ちリーダーシップの品質につきる。一心ブレのないリーダーがあってこそ幸せを可能にする成長が実現する」とパネラーの意見。本で読んだブータンの新しい試みのリーダーたちのオーラを直で感じることができ、とても刺激的な一日でした。


2011年1月7日(金)
最後の忠臣蔵

僕は休みの日によく一人で映画を見に行きます。いまは邦画がとてもおもしろい。昨日「最後の忠臣蔵」を見ました。涙がにじんで止まりませんでした。つくづく僕は日本人です。討ち入り後16年経てなお主従の絆と忠誠心は変わらない。たまらなくいい映画でした。自信もってお薦めします。それからプライベートなことで申し訳ありませんが、この映画の照明は僕の実家が請け負いました。実家いわく今年は「悪人」と「最後の忠臣蔵」が邦画グランプリ候補で、その両方とも照明を請け負ったとか。ちょっぴり自慢。


2011年1月6日(木)
街場のメディア論

今年もいろんな思いをブログにぶつけたい。僕なりに感じたことを表現したい。新書を読んだ読後感が中心になりますが、一生懸命書きますのでどうかおつきあいくださいね。
「政治家や官僚や経営者が無能だ」という言い方はあまりしたくない。「現在の混乱と混迷をもたらした責任」は僕にもあると受け止めたい。でもやっぱりこの国のマスコミは少しおかしい!内田樹の「街場のメディア論」からです。
テレビの中でニュースキャスターの「こんなことが許されていいのでしょうか」という常套句が我慢できない。この言い方には暗黙のうちに「こんなこと」に自分はまったくコミットしていませんよ、というメッセージが含まれている。おのれの無垢や未熟を言い立てて責任を回避しようとする態度。日本のマスメディアは一貫して「被害者顔のクレイマー」の増加に加担してきた。
給食のときに「いただきます」と言うことに抗議した親がいた。自分は給食費を払っている。誰にも負債はない、という理屈。「給食を食べる」という現事実は、食物の生産・流通システムの整備、公教育思想の普及、食文化の深まりといった無数の「前件」の結果、はじめて可能。その先人たちの積み重ねてきた努力の結果を享受している現実に対して「ありがたい」と思うのが普通でしょう?
傷害を受けた患者や、死亡した患者の家族の行動をメディアは非難しない。「弱者」とされる人たちの行動に瑕疵があっても、社会的に有効な形で伝えられることはない。一部の「弱者」はそれをよく知っている。このために、とげとげしい反応に歯止めが一切かからない。

2010年1月6日(水)
国家の命運

日本は軍事力を強化すべきという意見が多くなったように思います。確かに心通じない異国から家族を守るためには武装しかないかも!でもできれば平和貢献で国家を守りたいなぁ。元外交官藪中三十二の「国家の命運」を読みました。
現行憲法の下でも自衛隊や警察は戦闘行為でなく平和構築という分野において活躍できるところが多くある。日本は「日本としてやれることをやる」道を目指すべき。
日本はアフガンの地で500の学校を建て、1万人の教師を養成し、30万人の生徒に教育を与えてきた。650kmに及ぶ道路を建設し、カブール空港のターミナルも完成させた。今JICAが派遣する60人の専門家集団は、現地の人々と一緒に農業、医薬、教育などに携わっている。アフガン8万人の警察の給与の半分を日本が支払っている。平和を構築するための日本独自の方法は世界で高く評価されている。アフリカでも南太平洋でも、世界の隅々で専門家たちがともに働き、技術指導している。こういうやりかたが日本のやりかたであってもいいのではないか。2010年5月にタンザニアで開かれたアフリカ開発会議の席で、キクウェテ大統領は日本によるアフリカ支援について、「日本ぐらい、きちんと約束を守ってくれる国はない」と絶賛した。こうした実情を日本の人々はあまり知らない。

2010年12月10日(金)
宇宙は何でできているのか?

あかつきの金星衛生軌道失敗、とても残念です。6年後のリベンジに期待。金星の大気はCO2が90%以上!表面温度400\c以上!90気圧の灼熱地獄!温室効果のなれの果てである金星は地球の将来を暗示していると言われています。
「宇宙は何でできているのか」村山斉と「眠れなくなる宇宙の話」佐藤勝彦を読みました。
星やニュートリノなど、我々が理解できる宇宙の物質量は全宇宙のせいぜい5%だそうです。太陽220km/s、地球30km/sという高速で動く宇宙の星を銀河系内に引き留めておくためにはもっと大きな重力が必要。このうち「暗黒物質」と呼ばれる未知の物質が宇宙の22%を占める。暗黒物質は物質らしく振舞うので私たちは物として理解可能。だが残り73%の「暗黒エネルギー」はまったく理解できない。宇宙が加速膨張しているにもかかわらず暗黒エネルギーはその密度を薄めず、投げたボールを後ろから後押している。
光が生まれたとき(ビッグバン以降約30万年)、宇宙は温度や密度が均一。このことは物質や熱移動に光速以下という制限あるため、宇宙は当初インフレーションという光速以上の大きな急膨張をしたと考えられる。宇宙は特異点となる「ある一点」から始まったのではなく、どこから始まったかわからない虚数時間から始まった。トンネル効果によって虚数時間が実数時間に変化したとき、いまの宇宙が姿を現した。
宇宙は10次元空間であるという。私たちには三次元しか認識できない。10次元のうち7次元が小さく縮んでいると考えられる。細い糸を遠くから見ると1本の線だが、糸の幅の方向、つまり第二の次元は非常に小さいので遠目にはわからない。
二次元の世界に住んでいる住民は、平面上に風車があっても接地している柱が止まって見えるだけ。上で羽根車が回っていても二次元の住民には理解できない。このように私たちには理解できなくても見えない次元からのエネルギーが私たちに作用している可能性はある。

2010年11月29日(月)
長男の結婚式

今月初めに長男の結婚式がありました。手作りで暖かく余韻の残るいい式でしたよ。親も一応無事役割こなすことができてホッとしています。長男の選んだパートナーはかわいくやさしいお嬢さん。でかした我が息子!です。席上、長男が言いました。「お父さん、お母さん、これまで育ててくれてありがとう。僕はお父さんお母さんの子どもでよかった」と。僕は照れくさかったので“月並みなこと”とサラッと受け流しました。でも実は僕はこの言葉が一番うれしかった。僕はこれまで息子に親らしいことしてきませんでした。もっと明るい家庭に生まれていたら彼はもっと楽しい少年時代を過ごせたろうに。だから僕は死ぬまでに「こんな親でごめん」と謝りたかった。それなのにこんな言葉もらってもう死んでも悔いありません。僕は僕の息子が彼で本当によかったと思います。

2010年10月18日(月)
日本人は世界で評価高い

近ごろ日本人は自信なくしてません?僕は国粋主義者になったのか、最近日本がとっても大好き。日本人の世界の人々から尊敬されている度合いは中国人なんかに絶対負けてないはず。「なぜギャルはすぐにかわいいというのか」山本博通、「親日台湾の幻想」酒井亨という本を読みました。
「かわいい」という感性は、日本列島の歴史や伝統の上に成り立つもの。自分に酔いしれず、「今ここ」で誰かと何かを「共有」することを大切にする生き方。これがジャパンクールでかっこいい。西洋人にない心の動きで「かわいい」とときめく感覚が、今、静かに世界中に広がりつつある。
世界的には日本の評価はどんどん高まっている。日本に好感を持つ人々は東南アジア、南アジア、中東、アフリカ、欧州、中南米など世界に広がっている。
日本は平和国家として60年以上もの実績がある。アジアの人々は評価し、信頼を寄せている。日本は平和力を武器にして、人々を癒し、人類に貢献し、世界中から好かれている。
中国の急激な成長に活気を感じ、中国を羨んだり、GDPで中国に負けつつあるなど危機感抱いている日本人が多いようだが、彼らが羨む中国は、世界ではどれだけ軽蔑されていて、彼らが衰退していると嘆き、卑下する日本がどれだけ尊敬されているのか。

2010年10月18日(月)
死ぬことについて

心のどこかでいつも「僕なんか生きていていいのだろうか?」と思っている。生きることを許してもらうために人の役に立たねばと思う自分がいる。生きるってどういうこと?生に思いを馳せるため、死の本を読みました。「ヒトはどうして死ぬのか」田沼靖一より。
細胞は次の3つの方法で死ぬそうです。
1.ネクローシス:外因等による物理的な細胞の崩壊。炎症や痛みを伴う
2.アポトーシス:細菌の自死。身体からきれいに消去され浮腫や痛み炎症も起こらない
3. アポビオーシス:非再生系細胞にはおよそ100年という寿命がプログラムされている。
よくできているのはアポトーシス。細胞分裂する再生系細胞は分裂のたびにテロメアという回数券を消費します。50〜60回分裂したら死ぬようにセットされています。
自分の異常を感じた場合も細胞は死のシグナルを受け取る行動をします。細胞膜表面に「デスレセプター」と呼ばれるアンテナを出し、免疫細胞に見つけてもらってアポトーシスを起こします。
「オス」「メス」という性が現れたことにより「死」が必至となりました。確実に個体が死に古い遺伝子を全消去することによって次世代へと続く生命の連続性を担保しています。「自ら死ぬ」という利他的なふるまいがなければ、種の存続に適した個体をふるいわけることも、精巧な身体の形をつくることも、複雑な生命活動を維持していくことも不可能。細胞において死はとても大切な役割を果たしています。
旅に出て、山川草木の移り行く姿や見知らぬ人々との出会いに心が揺さぶられるのは、どこかで限りある命を思うから。わずか100年後には自分の周りにいる人たちはほとんど消え去っている。
僕も思います。人の命に限りあるから生が意味を持つ。必ず訪れる死を意識することが人生を豊かにする。死は苦しくない。。。でも自分が死ぬとき、一人くらいは寂しく思ってくれる人が欲しいなぁ。そしたらいさぎよく大往生できそう。

2010年9月4日(土)
温暖化懐疑論

反原子力発電急先鋒作家広瀬隆が書いた「二酸化炭素温暖化の崩壊」を読みました。彼の主張は「CO2が問題ではない。エネルギーを使うときに出る熱が温暖化の原因」。
原子力の決定的な欠点は危険かつその廃棄処分を次世代に先送りしていること。それに加え、彼は原子力(蒸気タービン発電)がコンバイン(ガスタービン+蒸気タービン発電)に比べ発電効率が約1/1.5しかないことが問題と主張している。つまり発電当たり温排水量が多い。原子力が天然ガス発電より低効率であるにもかかわらず、CO2を発生しないという理由で許容されているのが我慢ならない様子。
う〜ん。考えてしまった。確かに発電効率や温排水問題については彼の主張するとおり。でも化石燃料を使わない方がいいのはCO2を出すからだけではない。化石燃料に持続性と再生性がない。人類の要求するあくなきエネルギー需要を前提とする限り原子力を拒否することはできないと思う。CO2削減=省エネルギー。やっと高まった省エネ機運にまで水を差すのであれば温暖化懐疑論者は許したくない。

2010年8月4日(水)
プライベートなことですが

プライベートなことですが、11月に長男が結婚します。社内恋愛で、とても明るいかわいいお嬢さんです。申し分ありません。ベタベタしているわけではないけど、でもいまや二人ともお互いの相手なしに将来人生は考えられないくらい絆を培っています。最近彼らは私たち親をとても大切にしてくれます。親らしいことしてこず、「父親として認めない」とも言われていたので僕は親孝行してもらえるとは思っていませんでした。息子には小学生までのかわいさだけで一生分の親孝行をもらったと満足しています。これからの親孝行はお釣りです。幸せにお釣りがあるなんて本当にありがたい。。。

2010年6月4日(金)
男と女に関する本

男と女の違いってすごい。本2冊より。
長谷川眞理子の「生き物をめぐる4つのなぜ」。
哺乳類すべての個体は雌になるよう遺伝的にプログラムされている。性染色体がXYの場合、Yはメスをオスにするためだけに使われる。一方メスはXXだから片方のXに異常あっても別のXで修復することができ、異常に対して強い。
複雑なさえずりや大きく美しい飾り羽などは生存に直接関係ない余分なもの。本当に元気よく、病気にも強く、力と活力ある雄のみが、このような余分なものにエネルギーを使うことができる。この余分なものがどれほど立派であるかによって、雌は、本当に元気で活力ある雄を見分けているのではないか。
竹内久美子の「女は男の指を見る」。
オスは精子をメスの体に送り込む前に、メスの体内の別のオスの精子を掻き出す。人間のペニスの先の返し、太さ、射精までにする数回のスラストはこのため。
女はいつもそこそこの男で手を打っている。ただ排卵期にはその鋭い嗅覚によって本当にいい男を選び、交わる。そして子育ては何も知らないダンナにさせる。
「浮気がいけない」は浮気で成功する望みのない男たちの都合よい論理。男の浮気が成功するのはほんの一握り。浮気は成功しない男が圧倒的。「浮気はいけない」はそれら多数派の支持を得る。女は男に優れた精子こそを求めるが、優しさや真面目さは必要ない。。。
おもしろい。新鮮でした。男と女の仲ってまだまだ不思議がいっぱいです。

2010年6月22日(火)
牛の顔が見れない

口蹄疫伝染病の発生から2ケ月。家畜の殺処分、埋却が続きます。牛がかわいそうで仕方ありません。テレビで牛が写るたび僕はチャンネルを変えていました。先日牛の埋却にかかわった建設業男性の記事が載っていました。「涙がこぼれ、牛の顔をどうしても見ることができなかった。時折牛舎から殺処分される牛の鳴き声も聞く。まだ生まれたばかりの赤ちゃん牛を親牛の隣に並べてあげるのが精いっぱい」という。すべて善意の人。誰も悪くない。それなのにどうしてこんなことが?人間のために犠牲になってくれた牛たちと、それを人知れず処理してくれる人たちに心から感謝します。宮崎で起こっていることに思いを馳せながら毎日の食事をいただきたいと思います。

2010年6月7日(月)
愛犬の去勢手術

我が家の愛犬は柴犬のオスです。とてもかわいいけどやんちゃ。思うのですがオスの性欲ってすごいですね。あまり落ち着きないので先日去勢手術しました。でも結果は以前と変わらず。僕は去勢は男の沽券をずたずたにすると思います。いまさら言っても仕方ないけど、同じオスとしてかわいそうなことをしたと反省。それにしても性欲を授かったオスの性って大変。動物のオスはメスに受け入れてもらうため涙ぐましい努力をする。美しくも着飾る。頭の中はメスのことで80%以上?一方メスはオスを冷静に厳しく選ぶ。
昔の日本は男尊女卑。男が女を鑑賞し、女を選んでいた。最近が本来の姿?若い男が美しい。一方女も50代過ぎても美しい。オヤジを除いて日本人全体が美しくなった?(オヤジはゲームに参加せず鑑賞するだけだから美しくなくていいか!)美しい異性が増えることは男も女も幸せ。我が家の犬もメスにガツガツせずにさわやかな犬生を送って欲しいなぁ。

2010年5月26日(水)
日本経済の真実

辛坊治郎の「日本経済の真実」を読みました。日本の国の財政状況がわかりやすく解説されています。日本はいつ破綻してもおかしくない。ものつくりが海外へ逃げ、仮に企業の業績が回復したとしても国内にお金は落ちない。郵貯の80%が国債を購入。民間金融機関も大量に国債を購入。資金が政府に集まり、政府がその生かし方を失敗すれば私たちの蓄えは一瞬に消失する。日本に将来はないという論調です。環境についても、不公平な負担が日本の競争力を弱めると主張。確かに国が破綻したら環境どころじゃないよね。環境を思いやるためには経済的な余裕が必要。
ただ、辛坊さんの議論にはそれではどうしたらいいのか、国益と地球益が共存するような経済構造をどうしたら作れるかという観点が抜けている。日本人に余裕があるいまの間に、持続性ある経済構築を目指さなければ。もしかしたらいまの若い草食系と呼ばれる人たちのさわやかなライフスタイル(オバチャン感覚の超効率主義や、エコ志向、家族も地元も大好き)は新しい経済構造を模索している結果なのかもしれない。

2010年5月10日(月)
蜘蛛の糸

環境問題のことを考えるとお釈迦様の「蜘蛛の糸」を思い出します。先進国の豊かな生活に憧れた新興国30億の人々が新たにこの細い糸に群がっています。この糸はこの重さに耐えられません。糸が切れれば全員地獄へ落ちます。でも。。。先に登ったからといって「この蜘蛛の糸はおれのものだ。下りろ」とも言えません。生まれてしまった人を蹴飛ばすこともできません。できることは地味だけど一人一人の糸への負担を軽くするしかない。これから生まれてくる人を制限する?いま生きている人をダイエットする?いずれにしろ日本こそ手本を示さなければならない。日本には世界の模範たる行動を起こすだけの知識と品格がある。にもかかわらず糸が切れるかどうかの議論で足踏みしている現状がとっても残念。

2010年4月11日(日)
約130億年前の星

「約130億年前の星」 2010年4月11日
昨日、ハッブル望遠鏡が約130億年前の星をとらえたことをNHKで特集していました。
時間と空間は密接に関連しており、数学的に言えば虚数と実数の違いだそうです。光の速度で走るものは空間が(あるいは時間が)ゼロになる。つまり自分が飛んでいるどの二点間の距離も0であり、その経過時間も0。それでは130億年前の光とはいったい何なの?空間も時間もゼロっていうことは130億年前と現在とが同居しているってこと?過去はすべて消え去らず残っているってこと?それじゃ未来は?我々はたまたま一つの世界に住んでいるけど可能性あるぶんだけ多世界が存在するという学説もあります。こんなこと考えることはとっても好きです。

2010年3月1日(月)
脱化石燃料

地球上で起こる紛争のほとんどが資源争奪に起因しているとすれば、自然エネルギーは環境だけでなくあらゆる紛争も解決する。戦争等にかかる費用すべてを太陽光発電につぎ込んだとしてどれだけのことができるかを検討してみました。数字が大きすぎて目がクラクラしますが、結論として自然エネルギーの可能性はとっても高い。
世界中で使われている総軍事費(2005年): 約100兆円/年
(Stockholm International Research Instituteより)
世界の石油など化石燃料関連への公的支援金額: 約 36兆円/年
(国際再生可能エネルギー機関事務局長の日経記事より)
世界原油生産量(100ドル/ETUU、100円/ATUとして): 約300兆円/年
    (日生産量8,500万ETUU→310億ETUU/年→約5兆Lit/年)
合計436兆円で設置できる太陽光発電所(50万円/kwとして): 約   8.7億kw
人類が使用している総エネルギー量(電気・ガス・石油等):    約  160億kw
人類が地上で利用できる太陽光エネルギー量: 約10,000億kw

2010年4月13日(火)
オッサン

オッサンの自覚を持たないとダメと思って読みました。富増章成の「オッサンになる人、ならない人」にいっぱいオッサン例が書いてありました。気になるものだけ抜粋。
 オッサンの最大の特徴は周りを気にしないこと。
 女性と話すとき近づきすぎること。
 寂しがりでちょっとでも面白い話が受けるとうれしくてしょうがないこと。
 あらゆる場で自己流。オッサンが動けば動くほど周りの人は暑苦しくなる。
 オッサンは誰からも関心を持たれない。だから気が緩んでますますだらしなくなる。
<若者によるオッサンについてのアンケート>
説教好き。年齢的なプライドあって若者の発言を正当化しない。肩についたフケを気にしない。スポーツ新聞とヨレヨレの背広。頭がくさい。裾から素足が見える。口がくさい。半径1m以内に近づくと酒とタバコのまじったにおい。脂っぽい。やたらと汗をかいている。耳毛・鼻毛。ベルトの腹が乗っかっている。笑い方がいやらしい。お手拭で顔を拭く。あたりかまわず平気でつばを吐く。つまよう枝をくわえる。笑いすぎると咳き込む。運転をすると人が変わる。。。
いやはや冷や汗だらだらです。気をつけますぅ。

2010年3月1日(月)
この国の未来へ/グリーン資本主義

「この国の未来へ/グリーン資本主義」 佐和隆光 2010年02月
尊敬する佐和先生の本、「この国の未来へ」と「グリーン資本主義」より。
20世紀は化石燃料を燃焼させることにより、すなわち二酸化炭素の排出量を増やし続けることにより経済が発展・成長した。今世紀は、それによって引き起こされる地球温暖化と気候変動の緩和に努力しなければならない。さもなければ世界は想像を絶して余りある惨状になる。
新興国・発展途上国において、従来型インフラ整備による不況対策は特効薬として有効。
しかし先進国においては従来手法による不況対策は無効。耐久消費財普及による経済成長も期待薄。90年までは自動車産業波及効果によって大きな経済成長率を達成できたが、91年以降のデジタル製品では波及効果が小さく今後高い経済成長率は期待できそうにない。
先進国では食料品など生活必需品は仕方ないとしても、経済は資源を使わない方向に進むべき。つまりエネルギー費や水、地下資源等の価格を上げて、自然エネルギーや省エネルギー、省資源にお金を振り向けるべき。いずれ資源限界がすぐ目の前にやってきて原料価格高騰時代が来る。「資源を使わないこと」や「モノよりも精神的な幸せを求める」サービスにお金を投資し、新しい産業を育成すべき。21世紀技術革新は「低燃費」、「低炭素化」、「廃棄物最小化」、「再生可能」などといった環境保全関連以外にはない。
新しい産業興すためには補助金方式はコストかかりすぎ。補助金に頼らなくても炭素1ton当たり3000円課税すればガソリン価格はわずか2円上昇で税収は約1兆円増える。
「世界全体の温室効果ガス排出量半減」が目標とされている理由については、人為起源で排出されるCO2が森林や海洋により吸収される量の約2倍だからである。


2010年3月1日(月)
国の借金

この国の借金が心配です。どうなるのかちゃんと説明して欲しい。
与謝野前財務大臣は言っています。「国債の返済を除いた国の歳出は歳入以内に抑えるべき。そして過去発行した国債の返済は新たに発行する国債で返す。もし国の経済成長率が国債金利分より高ければ、年度末での国の借金は増えない。この状態が最低限の基本。」今の民主党予算はあきらかに使いすぎ。
    予算総額 92兆円(2010年度)/80兆円(自民党時代)
    税収 38兆円(2010年度)/50兆円(自民党時代)
    国債新規発行 44兆円(2010年度)/30兆円(自民党時代)
我々は身丈以上の生活を享受してそのツケを子どもたちに回している。子ども手当ても本当は親のため?一刻も早く借金を減らしもっと身軽な社会を子どもたちに渡すべき。環境問題も資源の使いすぎが問題。なんか借金問題も環境問題と同じ根っこを感じます。我々は負担を受け入れ、借金を少なくすべきではないでしょうか。

2010年3月1日
「欲しがらない若者たち(山岡拓)を読んで」

同じ思いがしたので本から抜粋します。
いまの若者はモノを欲しがらない。これは物質的に裕福な経済が成熟した帰結かもしれない。これがデフレというもの?モノの消費が伸びなかったら今の経済は縮小する。縮小を前提とした幸せや精神的な充足感をいかにして築くか?世界経済に占める日本の地位も今より小さくなり成長は難しくなる。この中での私たちの「暮らしの満足度」をどうやって高めるか?これはこれまで他国が経験したことない新しい段階に日本が到達したということ。持続できる地球環境を実現するためにもこれは乗超えなくてはならない課題。コンテンツや環境対応型商品の技術力や付加価値を利用して私たちの暮らしを高める。これを成し遂げるしか日本の生きていく道はない?

トップへ戻る
ぼくのブログ
ブログ目次